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ピアニスト中村紘子さんの逝去に寄せて想うこと

ピアニストの中村紘子さんが亡くなりました。享年72歳でした。もちろん、私は彼女と面識があるわけではありませんし、私がクラシック音楽の愛好家であっても、彼女の演奏するピアノを好んで聴いていたわけではありません。

 

彼女の実演に接したこともありません。ただ、彼女は1965年に第7回ショパン国際ピアノコンクールで入賞を果たしたので、私が小学校の高学年の頃には既に有名な新進気鋭のピアニストになっていました。

 

私の父が「題名のない音楽会」や「N響アワー」をよく観ていたので、そういう番組で彼女の演奏や話を聞いたことがあったのだと思います。NHK交響楽団の海外ツアーに同行してソリストとして演奏した時には、彼女は日本の着物(それも振袖)を着てピアノ演奏をするという離れ業をこなしておられました。

 

やはり振袖を着てピアノ演奏をするのは大変だったらしく、後日、彼女がその時の苦労話をしているのをテレビで拝見したことがあります。敗戦から10年後に生まれた私は、敗戦後20年にして日本の文化が復興しつつあったのを肌で感じたものでした。

 

なお、私がそれまでに知っていた日本人のピアニストは実力重視で、ピアノの練習に修行僧のように打ち込んできた人たちばかりでした。それに比べると、中村さんはルックスがよく、どことなく華やかな雰囲気を漂わせていました。

 

したがって、後に彼女と結婚することになる作家の庄司薫さんが、自らの小説の中で主人公の「薫くん」に「中村紘子さんのようなピアニストにピアノを習いたい」と言わせていたのを読んでも自然と納得できたのでした。

 

しかし、1974年に庄司さんと中村さんが結婚したというニュースを聞いた時には、さすがに私も驚きました。庄司薫さんは小説を書きながら、愛の告白を繰り返していたのではないかとさえ思えたのです。

 

庄司さんの「白鳥の歌なんか聞えない」はNHKでテレビドラマとして放送されましたが、このドラマで「薫くん」のガールフレンド由美を演じていたのが仁科明子(現:仁科亜季子)さんでした。

 

すなわち、当時高校二年生だった私には、振袖姿でピアノを演奏していた中村さんのイメージと、仁科さんが演じる由美のイメージとが青春時代の想い出の中で不思議と重なり合うのです。学園紛争はまだ終息したばかりの頃でした。